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きもの・帯の種類 大島紬

大島紬
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フランスのゴブラン織、イランのペルシャ絨毯と並んで、大島紬は世界三大織物という名誉ある称号を得ています。
いったい何がそんなにすごいの? どこが他の織物と違うの?
日本の宝といっても過言でない、大島紬の魅力について解説します。

奄美大島で生まれた美しい織物

奄美大島で生まれた美しい織物

大島紬は主に鹿児島県奄美大島や鹿児島市、宮崎県の都城市などで生産されています。
起源については諸説あり定かではありませんが、奄美大島では昔から養蚕が盛んで絹織物が作られており、自生するテーチ木などを使って染色していました。これが大島紬の染色のルーツになったといわれています。
奄美大島の風土と職人たちの技術によって、長い年月をかけて磨き上げられてきた大島紬。
見れば見るほど美しい織物はいったいどのようにして作られるのか、秘密はなんと「泥」にありました。

世界でも類を見ない「泥染め」

世界でも類を見ない「泥染め」

大島紬の魅力を引き出しているのは何と言っても伝統技法の「泥染め」です。
亜熱帯気候の奄美大島の赤土には非常に多くの鉄分が含まれており、栄養素が少なくて作物を育てるのには不向きとされてきましたが、逆にこの鉄分が幸いして大島紬は誕生しました。
大島紬は先染めといって、最初に絹糸に色をつけてから反物を織ります。
糸を染める工程では、テーチ木染めと泥染めの二つに分かれ、まずテーチ木を煮出した液で絹糸を染めていきます。このテーチ木にはタンニン酸というものが含まれており、これが次に行う泥染めの鉄分と化学反応を起こして深い黒に染まるのです。
この世界的にも非常にめずらしい染色方法は、奄美大島の泥田でしかできないと言われています。

切ない女性心がやがてあの美しさに

切ない女性心がやがてあの美しさに

では今と違って詳しい成分などわからなかったその昔、どのようにして泥で染めるという発見がなされたのでしょう。
江戸時代、奄美大島は薩摩藩に統治されていて、庶民は大島紬を着てはいけないという「紬着用禁止令」が出され、大島紬は薩摩藩への貢物としてのみ作られるようになりました。
その頃の大島紬はまだ泥染めの技法は用いられておらず、手引きの真綿糸で織られた織物でした。
自分たちで作っているのに、自分たちは着られないという理不尽。
女性だったら自分のものだって持っていたいという心理、痛いくらいわかりますよね。
そこである女性が薩摩藩の役人に見つからないよう大島紬を水田に隠したところ、あとで引き上げたら美しい黒褐色に染まっていた、というのが泥染めのきっかけだったという言い伝えがあります。
ちょっと切ないエピソードですが、後の大島紬の飛躍を考えると、この女性は大手柄でしたよね。

まさしく「きものの女王」

まさしく「きものの女王」

「親子三代、大島紬」という言葉を聞いたことはありませんか?
大島紬は親子三代まで受け継がれるほど丈夫という意味で、世代を超えて愛用される大島紬にはぴったりのキャッチフレーズですね。精緻な絣模様と優美な光沢感。しなやかな触り心地で、夏は涼しく、冬は暖かい。軽くて丈夫でしわになりにくく、着れば着るほど身体になじみ、着付けもしやすく着くずれもしにくいという、まさに非の打ちどころのない織物です。
「きものの女王」という異名があるのも納得でしょう。
泥染めした「泥大島(泥大島紬)」、白い絹糸を使った「白大島(白大島紬)」、絹糸を藍染めした「藍大島(泥藍大島紬)」など種類もさまざま。
いずれも高級織物として知られ、きもの好きなら一度は袖を通してみたいという憧れのきものが大島紬なのです。